今日は父の病院🏥に付き添いで行って来ました。
疲れたけど、富士山🗻見えて得した気分☺️
最近は毎日朝焼けも綺麗ですよ✨
鳥が影絵のように舞っていた時に撮りたかったのだけど、間に合わなかったよーん😅 pic.twitter.com/hM1q7UNEng— 島 えりか (@ErikaShima) December 27, 2022
~島えりかのすべてをここに~
今日は父の病院🏥に付き添いで行って来ました。
疲れたけど、富士山🗻見えて得した気分☺️
最近は毎日朝焼けも綺麗ですよ✨
鳥が影絵のように舞っていた時に撮りたかったのだけど、間に合わなかったよーん😅 pic.twitter.com/hM1q7UNEng— 島 えりか (@ErikaShima) December 27, 2022
父が、私が止めても自分を過信して遠出して、結局倒れて大怪我して救急車。。
仕事中だから絶対助けてあげられないからと止めたのに、、案の定仕事中に救急隊からガンガン電話あり、病院からも電話あり。。
高齢者なのに自覚がないのは困りものです😔— 島 えりか (@ErikaShima) December 20, 2022
実は母が亡くなってから、母の遺骨の一部を手元に残すか遺品を手元供養するかでずーっと悩んでいました。
遺品を供養するなら母がいつも身に着けていた金のネックレスが良いな♪と思っていたのにどこを探しても見つからなくて、母も生前具合が悪くなってからは、大切な物が無くなったと嘆いていたので、ずっと心に引っかかっていたんです。
49日を迎えた日、心から供養をしたいと思い、後飾り祭壇の前でいつもは読まないお経を声を出して読み上げ、母の金のネックレスが見つかりますように!と願いを伝えておきました。
すると昨日、無事に出て来たんです!
これで遺骨は残さず遺品供養が可能になる~♪とホッとした気持ちになりました。
やっぱりお骨は後々自分が亡くなる時に、残された方が困るだろうと思っていたので、良かった~。
お母さん、あったよ!ありがとう。大切な物が無くなってなくて良かったね☆
何から話せば良いのか気持ちの整理の付かぬまま、バタバタとした4日間を過ごし、本日やっとこのブログを書く時間を持てました。
14日の午前3時40分ス頃マホに病院から電話が入り、寝ぼけ眼で出ると男性看護師が「3時半頃でしたがお母様の顔色が悪いので確認すると、脈がなく心臓も動いていない状態でして、今から来れますか?」と突然の報告。
「え?今からですか?」気が動転してしどろもどろ。
「父も起こさないとですし、支度をしてタクシーを呼んで、、そうですね。。」
「30分後くらいですか?」
「そう、、ですね。」
慌てて父を起こし、状況を説明。
父は話を聞いて分かっているのか分かっていないのか?
実は私もこの時状況をよく理解出来ていませんでした。
急いでタクシーを呼ぼうとするも、1社目は営業終了してつながらず。
2社目はエリア範囲外ですと断られ、そこでここのエリアも対応しているという連絡先を聞いて、
3回目の電話でやっとタクシーがつかまりました。
しかし「到着まで10分程お時間かかりますがよろしいですか?」との事。。
でも背に腹は代えられないのでお願いすることに。
病院へ行く前にお手洗いに入っていたら、隣の部屋でドドドド…と大きな物音がしたので、出て見てみると、母のために購入したけど結局食べることなく入院してしまったため未開封のままだった「エンジョイゼリー」の箱が床に落ちていました。ちょっと不思議。。
病院に着くと正面玄関は閉まっていて、横のインターホンを鳴らしました。
中の警備員さんが出てきて開けて下さり、すぐに病室のある階に移動。
電話をしてくれた男性の看護師さんが慌てて出てきて、部屋に誘導して下さいました。
部屋に入ると母が寝ているように見えたので、「ママ、ママ。」と声を掛けて揺り起こすようにしたけれど、すでに動かず。あ、もう脈止まってるって連絡だったんだっけ。。と頭の中で状況を整理。
看護師さんが言うには、「深夜12時には少しお話したんです。午前1時頃にはお休みになられていたんですが。。まさかこんな事になるとは思わず、心電図も付けていなかったので気付くのが遅れてしまいました。」と…。
もう亡くなってしまったんだ。。
父も私もまだ夢の中にいるような気持ちで、状況を飲み込めていないまま、午前4時50分に死亡確認が行われ、霊安室へと運ばれました。
午前4時50分と言うけれど、本当に母が亡くなった時間は何時だったんだろう。少しもやもや。
母を棺に納めるため浴衣に着替えさせてくれたのは、以前オムツ交換を私に教えて下さった介護士の女性の方でした。
「突然なことで残念でしたね。こんな形でまたお会いするとは…。」と。
「はい、でもやれるだけのことはやったので、悔いはないです。」と私。
しかしこの介護士さん、夜勤で遺体の着替えまでして下さっているなんて、本当に気丈な方だなぁ~と、改めて感心してしまいました。
いつも明るくニコニコしていて、見た目も芸人のいとうあさこさんに似てる方なんです。
霊安室までの移動の途中、「葬儀屋はここが良いとかご希望はありますか?」と聞かれ、まだまだ母は生きると思っていたのでそんなこと考えてもいなくて、「いえ、何も決まっていません。」と私。
病院でお世話になっているという葬儀社のパンフレットを3社分受け取り、「決まりましたらそこにお電話していただいて、何時に迎えに来れるか受付に伝えて下さい。」と言われました。
はぁ~、これが遺族の現実なのかな?悲しむ暇もなく、事務的なことをテキパキと行わなければならないなんて、しかもまだ夜明け前。。
頭もぼーっとしているし、母が亡くなったという現実を飲み込めていないのに。。(汗)
空がうっすらと明るくなって来た頃、葬儀屋さんが霊柩車でお迎えに来ました。
その日の日中は葬儀屋さんと改めて葬儀の打ち合わせなどを行い、親族への連絡や母が生前親しくしていた方々への連絡と色々忙しく、悲しむ余裕もありません。
父もまだ実感が湧かないのか、まだ笑顔まで見せていましたが、夜になると私も急に悲しくなって、布団に入って電気を消した後、涙があふれて止まらなくなってしまいました。
翌朝、案の定泣きはらしたせいで目が腫れまくり。。
午前中、病院から「お母さまの靴の忘れ物がありました。郵送で送りましょうか?」と電話があり、「取りに行くので大丈夫です。」と言ってはみたけれど、突然の雷雨で私の心の中を表しているかのようなどしゃぶりの雨。結局取りに行く元気がなく、外出しませんでした。
家の中にある母の私物が目に着くたび、数日前まで使っていたのに、もういないなんて。。
と信じたくない気持ちに襲われました。
母の棺に私物で大切にしていた物を入れてあげるため、色々部屋の中の物を見ながら葬儀に持って行く荷物をまとめ、一緒に入れてあげる母宛ての手紙をしたためていたら、また涙があふれ、親族や母の友人から悲痛な悲しみの声が入る度に、一緒に泣けて来ました。
振り返ると、母はいつも私の話を何でも聞いてくれて、寂しい時にはいつも一緒にいてくれました。
仲良しだったので、二人で出かけた場所は数知れず。
あの明るくて元気だった母が、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。。
亡くなる前日、ふと母の呼ぶ声がした気がしたのに、病院にいるからと安心しきっていて、電話をかけてあげなかったことが悔やまれます。
最後に会ったのは無くなる2日前だったけれど、まさかこんな事になるなんて思わず、父がさっさと病室を出て行ってしまったので、母が何かまだ一生懸命訴えていたのに、「あ~、ママごめん。また来るね!」と言って、ちゃんと最後まで話を聞いてあげられなかったことが悔やまれます。
あれが最後の会話になると知っていたら。。
人の別れはある日突然訪れます。
後悔のないように、日々を送りたいです。
皆さんも大切な人がいたら、後悔のないように接してあげて下さい。
葬儀はコロナ禍のため、16日に近親者のみで執り行いました。
花が好きだった母は沢山のお花に囲まれ、愛用品や好きだった食べ物等と共に荼毘に付されました。
お寿司が大好きだったのに、嚥下調整食しか食べれなくて悲しかったよね。
踊りが大好きだったのに、身体が思うように動かせなくて辛かったよね。
今はそんな苦しみから解放されて、天国で大好きなお祖母ちゃんとお寿司を食べ、思いっきり踊ったりしながら楽しく過ごしている事でしょう。
ママ、今までありがとう。どうか安らかに。
これからは天国から、私たち家族を見守っていて下さい。
病院から電話があり、「中心静脈栄養のサインをいただきたいのと、病状の説明・今後の方針等について話したいので病院に来てください。」と言われ、父も行きたいと言うので、駅から1キロ以上歩かなければならない上に猛暑日だし大丈夫かな?と思い、「長距離歩くけど大丈夫なの?」と聞くと、「大丈夫。」というの連れて行きました。
かなり時間に余裕を見て、途中ベンチで一休みさせ、水分補給を行って再出発!
父は到着した時はかなり疲れていましたが、なんとか無事に到着。
入り口で体温を計ると37.2度あり、相談員さんも「あれ?お父さん具合悪いですか?」父、「いや。」と(汗)。念のため手首と首元で計ると平熱。「ま、いいか。」と無事に通過させて下さいました。
助かったけど、こんなんで良いのか?とも思った複雑な気持ちになったよ。(笑)
診察室に呼ばれ、「まだ普通の点滴してる状態なんですよ。」と先生。
「え?そうなんですか?」土曜日に電話で許可を下さいと言われてたので、もうやっているものだと思ってたら違ったんだ。
さらに先生、「なんで低血糖になったかが分からないんだよなぁ。病院では一切そんなこと無かったから。」と。
なので、「家に帰って2週目に入ってから、定期的な発作のような痙攣のような感じでお腹が痛いとか苦しいとか言ってたんです。」と伝えると、「お腹が痛いって?」と初めて聞いたようなリアクション。
あれ?何度も何度も訪問看護師さんたちに伝えていたんだけどなぁ。意外と連携が取れていないのかも??と心配になりました。
「前にもやっていたと思いますが、やっぱり食事を摂れないようなので、高栄養の中心静脈栄養という点滴をしたいと思いますので、サインお願いします。」「はい。お願いします。」
「では、そういうことで。」と話を終わらせようとするので、あれ?今後の方針や病状説明は?と思い、「ガスが溜っていると聞いたんですが。」と私。先生、「それは比較的良くある事なんです。じゃあ。」とまた終わらせようとするので、「検査しないんですか?」と慌てて質問。
すると、「もちろん検査はしますよ!」「じゃあ、先生また来週ですか?」と相談員さんが間に入り、先生とのお話は終了になりました。
つまり、来週にならないと病状も分からず、今後の方針も決められないってことなんだな。
それから、父がわざわざ来たのにそれだけで終わってしまうなら来る意味なかったなぁ、とちょっとガックリしていたら、相談員さんが「ご本人に会っていただいても良いですよね?」と先生に聞いてくださって、母の病室に行くことが出来ました。
母は朝方電話で「私のお金を持って来て。少しじゃ駄目よ!ちゃんと持って来て。」と意味の分からないことを必死で訴えて来たので仕方なく、首から下げられるカードケースに封筒に入れた1万円札を入れ、表に「御守」と書き、「いつもありがとうございます。」と一言、看護師さん介護士さん達へのメッセージを書いて見えるようにして渡しました。
母はどことなく目がうつろで、父が手を握っているのにあまり目も合わさずいたのだけれど、どうしてだろう。やっぱり弱っているのかな。。
隣に寝ている方が痰の絡んだ咳をしていたので、母にマスクを付けてあげました。もちろん苦しくないか聞いてから。大丈夫かな?
昨日は慌てていたので、母のスマホを病院に持って行くのを忘れていて、姉から「その後ママとラインで話したりした?」と聞かれて、あ!と思い出しました(^^;)
というわけで、午後は病院へひとっ走り旦那にバイクで連れて行ってもらったのですが、やはりコロナ禍のため、入り口で介護士さんに渡すことしか出来ず。ちゃんとコンセントに差したり出来たかな?と思っていたら病院から「やはり食べれないようなので、主治医が中心静脈栄養をしたいと言っているのですが、ご家族の承諾と書類へのサインが必要なのでお電話しました。」と電話がありました。
「分かりました。お願いします!」と伝え、中心静脈栄養の点滴につながれているのでは、電話なんか出来ないだろうなぁと、スマホの行く末を心配すると同時に、ご飯がやっぱり食べれないんだと、母の事が心配になりました。
書類のサインと今後の会議は来週のいつになるのだろう?
朝9時頃、父に「ママに朝水分を飲ませた?」と確認。
母が「パパが飲ませてくれた。」というので安心し、いつものように尿道カテーテルで溜った尿を廃棄。
昨日より量が多くて良かったなぁ~と思っていたら、横で母が「したいのに尿が出ない」と訴えて来た。
「でも尿も昨日より出ているし、色も悪くないので、大丈夫だよ♪」と安心するように声を掛け、作業していたら、また発作のように辛そうな表情になってお腹を触りながらモゾモゾし始めた母。
「尿道カテーテル嫌だよね?早く抜けるようにお願いしようね!」と声を掛ける。
オムツを開いてみると、カテーテルが余程気になったのか尿漏れパッドを手で押しこんでしまっていて、動いたせいか尿漏れしていました。便通は無し。
とにかくまずは水分を摂らせようと、とろみを付けたスポーツドリンクを作り、「朝ごはん食べようよ。」と声を掛けたけれど「食べたくない。」と首を振る。
「ゼリーだけでも食べない?」とゼリーを出して持って行くと、母が塗り絵の本をひっぱり出して普通の鉛筆で塗っていたので、色鉛筆の水色を出してあげて持たせてあげました。
するといつもは上手に塗っているのに、右に左にはみ出してぐちゃぐちゃに塗り出して、盛んに「色が出ない、色が出ない。」と言うので、「え?色出てるよ?じゃあ違う色にする?」とピンク色を渡しました。
すると、また同じようにぐちゃぐちゃに塗り出し、「色が出ない、色が出ない。」と。。
最後は痙攣のような動きで塗っているので、おかしいな?と思い、水分と栄養を摂らせなきゃと感じ、「とにかく今はゼリーを先に食べようよ!」と塗り絵を片付け、たんぱくゼリー・セブンを一口食べさせた。
でも、次の二口目を口に運ぼうとした時です。
母が急にビックリしたように目を見開いてこちらを見て、口は下唇を噛むようにつぐんでいて、「どうしたの?」と声を掛けても反応なく、ただ目を見開いてこちらを見ているので怖くなって、「ママ、ママ!!」と呼びかけるも、空中を見て次第に目がトロンとして白目を剥いて来るではありませんか!
ヤバい!これは絶対おかしい!と大慌てでパルスオキシメーターで酸素濃度を測ると、ピッピッピッと警告音と共にサチュレーションは65というものすごく低い数字を表示。
大慌てで介護ベッドの背もたれを倒し、声掛けしながら再度酸素濃度を測ると、今度は96から少しづつ上がって99まで戻ってくれたので少しだけホッとしたのですが、意識は混濁としたままの様子で、何度声を掛けても反応がなく目の焦点が合わない状態。
すぐに訪問看護さんに連絡しないとマズイ!そう思って、電話をかけました。
すると15分ほどで看護師さんが駆けつけてくれました。
看護師さんがすぐにサチュレーションを測ると99もあって酸素濃度は良い値だし、熱も無し、血圧が少し高いくらいとの事。
ただ目が少し縮瞳しているし、手を握って下さいと言うと手は握り返すけど自分の名前も言えない状態。
看護師さんが病院にすぐに電話をかけてくれました。「明らかに表情がお会いした時と違います。」しかし、「先生が不在なのですぐには行けないから。」と冷たいお答え。「しばらく娘さんに見ててもらって、何かあったら訪問看護に電話してもらって!」と。。
訪問看護師さんは少し納得していない様子でした。
再度看護師さんが酸素濃度を測ると、また少し下がって85という数字になっていて、しばらくすると100に戻ったり。
「多分、自分で息を止めてしまって酸素濃度が下がってしまっているので、口が閉じてしまったら指で開けて呼吸を促してあげて下さい。あとなるべく声掛けをして様子を見て下さい。」とのことで、また時間を見て電話しますね!何かあったらまたいつでも電話下さい。」と言い残し帰られました。
それから何度も声掛けをしていたけれど、目は開けても空中のおかしな方向を母が見ているので、「何か見えてるの?私はこっちだよ!私が見える?」と言っても、こちらは見てくれないし、焦点が合わない母。
そうこうしているうちに訪問診療の病院から、「先生が行けるようになったので、1時間後に伺います。」と電話が入りました。
良かった!それまで頑張って息を止めないように様子を見て声掛けしないと!とベッドサイドに椅子を持って来て、声掛けを続けました。
父にも協力を求めたのですが、「見ていても仕方ない。」と言うので、「あなたの妻でしょ!愛情が無いなら、もう一緒にいないで!」と怒ってしまいました。。
一時間後、女性の担当の先生がいらっしゃらないとの事で、他の男性の先生が来て下さいました。
始めは看護師さんから、「意識混濁している状態なので脳溢血とか脳梗塞とかの障害が起きている可能性もあり、その場合はうちの病院では対処できないので、他の病院に移って手術などになります。ご家族に伝えて下さい。」と言われたので、「分かりました。」と言って、まずは別の部屋にいる父に説明に行き、母のいる部屋に戻りました。
すると先生と看護師さんが「あ~!低血糖だ、低血糖だ!」と騒いでいて、「何か甘い砂糖の塊とかチョコレートとかありますか?」と聞かれたので、慌ててキッチンを探しに行きましたが、基本的にあまり甘いものを買わないタイプなので持っていなくて、父にも聞きに行ってみると、「そんなこと突然言われたって!」と半分怒っている始末(汗)、仕方なく先生の所に「砂糖しかありませんでした。」と報告すると、すでに看護師さんと共にバタバタと慌てながら何かの用意をされていました。
様子を見ていたら、始めは道具が足りなくて上手く処置が出来ない様子で、しまいには先生が「ダメだ。いいや、もう打っちゃう。この患者さんの状態を早く治してあげるのが先決だから。」と点滴の針と注射器で、どうにか対処して下さったようでした。
しばらくすると母の体が動き始め、看護師さんが、「ごめんね!注射、沁みるよね?」と言って、先生に「意識が戻って、痛みに反応し始めましたね!」と。
看護師さんも大きな声で母の名前を呼んで呼びかけをして下さり、ついに!母の意識が戻ってくれたのです。
「ほら、分かる?娘さんが心配してたよ?」と看護師さんが言って下さって、私が顔を見て手を振ると、心なしかほほ笑んでくれたようでした。その瞬間、うれしかったなぁ☆
先生は「もう意識戻ったし、入院は必要ないんじゃない?」と言っていましたが、看護師さんが「家ではご飯もほとんど食べてくれなかったようなので、このままだと低血糖を繰り返すし、一度検査もした方が良いし、娘さんの休息のためにも入院した方が良いので。」と言って、ひとまず入院することになりました。
介護タクシーの手配もして下さり、お昼過ぎに介護タクシーさんが来て、母と一緒に病院へ。
色々検査をした結果、「肝臓の数値が悪いのと、腸にガスがたくさん溜っているので、腸閉塞の疑いと、癌の検査をしなければ詳しいことは分かりませんが、腸の検査はかなり身体に負担があるために、高齢の方だとリスクが大きく、万が一という事もあり得ますので、それでも検査するのかどうか。また食事が口から取れない場合、胃ろうか高栄養の中心静脈栄養の点滴をしなければならないが、お母様の場合は胃がないため、胃ろうは出来ませんし、腸ろうは体に負担が大きいので無理です。
中心静脈栄養なら在宅ですることも可能ですが、CVポートを付ける手術をしなければならず、それはうちの病院では出来ません。また管理が必要なので娘さんに処置の仕方を学んでもらう必要もあり、介護の負担が増えることになります。さらに施設に預ける場合、CVポートが付いていると医療行為になるので、入れる施設がかなり限られてきます。料金の高い老人ホームに入らないとならなくなりますので、今後の方針を延命措置をどこまでするかも含めてご家族で話し合って下さい。」と言われました。
これは一人で決められる問題ではないので、アメリカにいる姉の意見と当てにはならないけれど父
の意見も聞いてみなければ。。
その後、入院前の様子など看護師さんから聞かれたので説明し、カテーテルが気になっているので外してあげたい旨を伝えると、「今まで尿が出なかったというのは聞いたことありませんか?」と聞かれたので、「それはないです。中心静脈栄養をしている時に汚れると菌が入って危ないので抜かないとは聞きました。なので、退院の時には外れている予定でしたが抜けてなかったんです。」と伝えると、では退院する時は抜く方向で先生に相談しますね!との事。
あれ?と言う事は、この間訪問看護さんが病院にカテーテルを抜いて良いか聞いた時には、「抜くと尿が出なかったから抜かない方向で、と言われたんです。」と言ってたけど、やっぱりそういう事実は無いんだな。。
今日緊急で来てくれた訪問診療の先生も、「カテーテルは菌が入ると怖いから、なるべく抜くんだけどなぁ、なんで抜かなかったんだろう?」と看護師に聞いていて、「多分、娘さんの介護の負担が大きくなってしまうからだと思う。」と先生に言っているのを耳にしました。
え!そんなことなら抜いてくれた方が良いのに!とドタバタの中で思いました。これで再度カテーテルを抜く要望を伝えたので、次回退院する時には余程の事が無い限り、抜いてくれるだろう。
一通り入院の手続きが終わって病院の外へ出たら、さきほどうちの母を運んでくれた介護タクシーの人が、また別の患者さんを運んで来たところに遭遇!会釈されたので、こちらも会釈。働いてるなぁ~。(^^;)
今朝は母が便通がなくなって3日目なので、先生に言われたように下剤を飲ませないといけないかな?と思っていたら自然に出たようで、匂いがして来たので見てみると、昨日の看護師さんの予想どおり下痢をしていました。でも、自然に出てよかった!
しかし、例の腹痛の発作のような症状は1分おきに来て、辛そう。
結局、下痢止めでは治らなかったんだ、看護師さんに言わなければ。。
午後、予定通り定期訪問で看護師さんが来てくれたのですが、初日に来た方が来るのかと思いきや、またまた初めての看護師さんでした。
しかも大きなバケツを持って来た。何かと思ったら、母に足湯をさせてくれるようです。
ここ数日、母は私や父にも声を出して返事をしてくれない事が多いのですが、初めて来た看護師さんにちゃんと返事をしていて、おまけに「全然身体が動かない」とか愚痴まで言っていたので、相性が良いのかも?
アロマの良い香りをさせて足湯に入れてくれて、母も気持ちが良いと言ってたので良かった♪
その後、看護師さんがオムツの交換をしたら、また下痢便が出ていました。
せっかくだからと洗浄をしてくれて、オムツを穿かせていたら、また便が出て来てしまい「これは下痢をしているのにうまく出せないで詰まっているのかも?」と。。
この後、私は看護師さんのスゴイ技を目撃することになるのです。
汚い話なので気分を害する方は読まないでね(^^;
ただこれが介護の真実なので、包み隠さずお伝えしますね!
なんと看護師さんが手袋をした指にワセリンを塗ったと思ったら、母の肛門に指を入れグリグリ。
すると、詰まっていた便がニョロニョロと出て来るではありませんかっ(汗)
私は看護師さんに「下痢しているのに詰まっていたんですね~。」と平静を装って言いましたが、内心「看護師さん、スゴイスゴイ!」と興奮し驚いていました(笑)
母はその看護師さんがいる間は一度も発作のような状態にはならなかったし、さらにその処置が終わった後は、スッキリした穏やかな表情になり、眠りに落ちそうにまでなっていました。
良い看護師さんだ♡
最後にパジャマの着替えまでしてくれたのですが、ちょっとだけ残念だった点がありました。
それは、尿道カテーテルをパジャマの中に通してパジャマの下を穿かせてしまった事です。
夜寝る時に母が「足が痛い!」と叫ぶので、どうしたのかと思ったら、パジャマの中に通したカテーテルの部品が足の下に入り込んでぶつかっていたようでした。
可哀そうに、痛かったよね(T_T)
結局、私がパジャマの下を脱がせてカテーテルを抜き、再び穿かせるという作業が発生。
なんで中に通しちゃったんだろうなぁ。それ以外は素晴らしいお仕事してくれたのに~!
と惜しい気持ちでした。
その看護師さんから、「お母さまの身体の状態が良くなるまで、今後は訪問看護は週に2回入らせてもらいますね!」と告げられました。
今後のスケジュールを見ると、月~金曜まで色々な所から看護師さんや医師、理学療法士など、人がやって来る予定でビッシリ。なんか忙しいなぁ。
今日で在宅介護を始めて10日が過ぎた。
これまでで知り得た介護のコツを記録しておくことにしよう。
これから介護をされる方の参考になるといいな♪
椅子から立ち上がらせようとして、上に引っ張るのはNG。
人間の自然な身体の動きは、立ち上がる時、座った状態から頭を前に移動してから腰を上げる。
実際に健康な体の大きな人であっても、座っているその人のおでこに指をまっすぐ当てて押さえると、押さえられている人は立ち上がれないんですって!
つまり、介護者は被介護者の前に立ち、前かがみになって頭を前に出して、こちらに倒れ掛かって欲しいとお願いする。
(うちの母の場合、足のつま先の前にある物を拾うように前かがみになって!とお願いすると上手くいくみたい。)
まず足だけベッドの下に降ろしてもらい、上半身は肩甲骨の下に腕を差し込んで起こしてあげる。
膝の横にベッドに横づけした形で車椅子を置き、固定。
ひじ掛けが取れるタイプならベッド側だけひじ掛けを外し、被介護者に車椅子と反対側のベッドの柵を握ってもらい、介護者はその目の前に立つ。
立ち上がる動作をしてもらうと同時に、脇の下を持ってお尻を持ち上げ、くるっと90度お尻の向きを回転させて椅子の上にスライドするような形で座らせる。
今朝は母の尿の色がますます黒くなっているので、とても心配でした。
ケアマネージャーさんと訪問看護師さんが訪ねて来る予定があるので、看護師さんに処置していただこうと思っていたのだけれど、その看護師さんだけなかなか現れない。
ケアマネージャーさんと、どうしたんでしょうね?と話していたら、「どこの棟ですか?」と電話がかかって来た。
棟?うちのマンションは一つだけどなぁ(汗)どうやらカーナビが途中で止まって別のところを彷徨ってしまっていた様子。詳しく場所の説明をして待っていたら、しばらくしてご到着。
始めは険しい顔つきに見えたけど、遅れたせいだったのかな?
母の尿が濁っているのを見ると、バルーンカテーテルを交換しましょうと手際良く処置してくれました☆
交換後は母の尿も元の色に戻ってくれたので、看護師さん様様です!ありがとうございます!
良かったね!お母さん。
しかし看護師さんが帰った後しばらくして、なぜかまた看護師さんから電話があった。
どうしたのかと思ったら、お借りした油性ペンをポケットに入れっぱなしにして持って帰ってしまいました。次回リハビリスタッフが訪問する時にお返しするので良いですか?」だって。(笑)
道に迷ったり、借りたもの持って帰っちゃったり、意外とおっちょこちょいなのね?(^^;)