またまた夢のお話

今朝見た夢に、約一ヶ月ぶりに母が出て来ました。
それもとても元気な姿で、家族団らんの場でご飯をたくさん作ったりして、とってもはしゃいで
いる様子。
私は喜んで「元気になったね~♪」と母に声をかけると、「うん、元気になって良かった♪」と
嬉しそうに話していました。

実はそんな夢を見た前日である昨日、父の案内のもと大雨にもかかわらず、母の大親友でSKD
(松竹歌劇団)同期生だったWさん(Bのおばちゃん)が、娘さんご夫妻と共に母のお墓参りを
して下さっていたんです。

なぜWなのにBなのか?というのは、SKD時代の愛称がBのため、ずっと私は子供の頃から親しみを
込めて「Bのおばちゃん」と呼ばせていただいていたんです。

「きっとBのおばちゃん(Wさん)のお陰でお母さん、元気になったんだね!」と父に話し、Wさん
にも早速お礼を兼ねてご報告。

すると、「娘さんたちを通して、またコンちゃん(母の愛称)と会えた気がして嬉しかったです。」
と、丁寧なお礼のお返事が届き、目頭が熱くなりました。
ずっと母もWさんもお互いに会いたかったに違いないのに、コロナ禍だし高齢の身体では思うように
移動も出来ないしで、歯痒い思いをしていた事でしょう。

こんな形での再会になってしまったけれど、母が喜んでくれたんだと思うと、大きな仕事が終わった
ようで、気持ちがかなり軽くなりました。

さぁ、明日から自分の事に集中して、頑張ろう!もうすぐ誕生日だしね。
なんと51歳。(^^;)振り返ると、母や父のことばかりに追われた50歳だったなぁ~。
だから51歳は、もっと自分のために時間を使える年にしたいな♪と思っています。
皆さん、ヨロシクね☆





楽しかった夢と不思議な夢のお話


皆さん、こんにちわ!数日前は珍しくとても楽しい夢を見たので記録を兼ねてお話しておきます♪

夢の中でのお話です。
私が間借りをしている建物は、純和風木造の古民家で長屋とも見える狭そうな住宅なのですが、不在時に私が定期的に購入している花瓶に挿す花が届きました。(実は現実でも母の供養にお花を定期的に買いに行っているので、その影響かな?)すると代わりに隣に住む気さくなチャキチャキしたおばちゃんが受け取ってくれるの。
(何故かその様子も私が見ているのが不思議、、まぁ夢だからね。で、ここからが面白いところ♪)

バラエティー番組の「Youは何しに日本へ」に出てくる面白外国人家族みたいな人達が同じ建物内に住んでいて、私はクスクス笑いながらその面白い行動を近くで見てるの。

外国人(白人さん)家族はおじいちゃん、お父さんお母さん、子供の3世代で住んでいるんだけど、中でも特にお父さんが弾けていて、いい大人なのにロック歌手の真似事をして、家族を従えてノリノリで外で歌ってたり、バイクが好きで2台カッコいいバイクを持っていると思ったら、それに寝るように真横になって変な姿勢で乗ってみたり、ヒーロー物の映画の登場シーンのように、ポーズを取って派手にライトを浴びながら飛び出してみたり、とにかく天真爛漫で愉快な人だったの。その上、おじいちゃんまで一緒になって演出に協力して盛り上げてるの(笑)

ただそれだけなんだけど、突拍子もない設定だし、なんでこんな夢を見たんだろう?って面白くなっちゃいました。何か意味があるとすれば、人の目なんか気にせずもっと弾けて楽しもうぜ!と言うメッセージ??

そしてその翌日の夢には、7月に亡くなった母が出て来ました。(実はこれで亡くなってから2回目)
夢の中では普通にお母さんは生きていて、一緒にホテルのロビーで二人で宿泊予約をしようとしているのだけど、人気のホテルで予約が取れず、明日なら空いてますと言われてしまい、母が「えりかが良いなら明日でも良いよ!」と言うので、私は「どちらでも良いよ~。」と返事をしつつ、泊まるとなると家を空けなきゃならないなぁ~、どうしよう。。と頭で考えてるの。

で、そのホテルの名前が都ホテル。本当にあるのかな?と起きてから調べてみたら、東京にはシェラトン都ホテルという立派なホテルがあるし、大阪とか他の都市にもあるではないですか!(*_*)
テレビか何かで見て、潜在意識にインプットされていたのが出てきたのかもしれないけれど、私はそれがあることを知らないのに、夢に出てきて存在を知るということが、なんとこれで二度目!
一度目の夢はAMPローションと北海道稚内のB級グルメのチャーメンを教えてくれたんだった。
この話、だいぶ前にpixivFANBOXの有料会員様のみに公開したブログで書いた気がしますが、人の脳って不思議ですよね~(^_-)-☆
そうだ!有料会員制になったら、今もパスワードをかけている pixivFANBOX会員様向けに書いた過去のブログを公開しようかな。

それでは!今日は夢のお話だったので、お休み前のオフショットを撮ってみました♪
皆様、お休みなさ~い☆ …あ、まだお昼だった(^-^;

49日を無事に終え、母がいつも身に着けていたネックレスが出て来たよ!

実は母が亡くなってから、母の遺骨の一部を手元に残すか遺品を手元供養するかでずーっと悩んでいました。
遺品を供養するなら母がいつも身に着けていた金のネックレスが良いな♪と思っていたのにどこを探しても見つからなくて、母も生前具合が悪くなってからは、大切な物が無くなったと嘆いていたので、ずっと心に引っかかっていたんです。
49日を迎えた日、心から供養をしたいと思い、後飾り祭壇の前でいつもは読まないお経を声を出して読み上げ、母の金のネックレスが見つかりますように!と願いを伝えておきました。
すると昨日、無事に出て来たんです!
これで遺骨は残さず遺品供養が可能になる~♪とホッとした気持ちになりました。
やっぱりお骨は後々自分が亡くなる時に、残された方が困るだろうと思っていたので、良かった~。
お母さん、あったよ!ありがとう。大切な物が無くなってなくて良かったね☆

天国への旅立ち

何から話せば良いのか気持ちの整理の付かぬまま、バタバタとした4日間を過ごし、本日やっとこのブログを書く時間を持てました。

14日の午前3時40分ス頃マホに病院から電話が入り、寝ぼけ眼で出ると男性看護師が「3時半頃でしたがお母様の顔色が悪いので確認すると、脈がなく心臓も動いていない状態でして、今から来れますか?」と突然の報告。

「え?今からですか?」気が動転してしどろもどろ。
「父も起こさないとですし、支度をしてタクシーを呼んで、、そうですね。。」
「30分後くらいですか?」
「そう、、ですね。」

慌てて父を起こし、状況を説明。
父は話を聞いて分かっているのか分かっていないのか?
実は私もこの時状況をよく理解出来ていませんでした。
急いでタクシーを呼ぼうとするも、1社目は営業終了してつながらず。
2社目はエリア範囲外ですと断られ、そこでここのエリアも対応しているという連絡先を聞いて、
3回目の電話でやっとタクシーがつかまりました。
しかし「到着まで10分程お時間かかりますがよろしいですか?」との事。。
でも背に腹は代えられないのでお願いすることに。

病院へ行く前にお手洗いに入っていたら、隣の部屋でドドドド…と大きな物音がしたので、出て見てみると、母のために購入したけど結局食べることなく入院してしまったため未開封のままだった「エンジョイゼリー」の箱が床に落ちていました。ちょっと不思議。。

病院に着くと正面玄関は閉まっていて、横のインターホンを鳴らしました。
中の警備員さんが出てきて開けて下さり、すぐに病室のある階に移動。
電話をしてくれた男性の看護師さんが慌てて出てきて、部屋に誘導して下さいました。

部屋に入ると母が寝ているように見えたので、「ママ、ママ。」と声を掛けて揺り起こすようにしたけれど、すでに動かず。あ、もう脈止まってるって連絡だったんだっけ。。と頭の中で状況を整理。
看護師さんが言うには、「深夜12時には少しお話したんです。午前1時頃にはお休みになられていたんですが。。まさかこんな事になるとは思わず、心電図も付けていなかったので気付くのが遅れてしまいました。」と…。

もう亡くなってしまったんだ。。
父も私もまだ夢の中にいるような気持ちで、状況を飲み込めていないまま、午前4時50分に死亡確認が行われ、霊安室へと運ばれました。
午前4時50分と言うけれど、本当に母が亡くなった時間は何時だったんだろう。少しもやもや。

母を棺に納めるため浴衣に着替えさせてくれたのは、以前オムツ交換を私に教えて下さった介護士の女性の方でした。
「突然なことで残念でしたね。こんな形でまたお会いするとは…。」と。
「はい、でもやれるだけのことはやったので、悔いはないです。」と私。
しかしこの介護士さん、夜勤で遺体の着替えまでして下さっているなんて、本当に気丈な方だなぁ~と、改めて感心してしまいました。
いつも明るくニコニコしていて、見た目も芸人のいとうあさこさんに似てる方なんです。

霊安室までの移動の途中、「葬儀屋はここが良いとかご希望はありますか?」と聞かれ、まだまだ母は生きると思っていたのでそんなこと考えてもいなくて、「いえ、何も決まっていません。」と私。
病院でお世話になっているという葬儀社のパンフレットを3社分受け取り、「決まりましたらそこにお電話していただいて、何時に迎えに来れるか受付に伝えて下さい。」と言われました。
はぁ~、これが遺族の現実なのかな?悲しむ暇もなく、事務的なことをテキパキと行わなければならないなんて、しかもまだ夜明け前。。
頭もぼーっとしているし、母が亡くなったという現実を飲み込めていないのに。。(汗)

空がうっすらと明るくなって来た頃、葬儀屋さんが霊柩車でお迎えに来ました。
その日の日中は葬儀屋さんと改めて葬儀の打ち合わせなどを行い、親族への連絡や母が生前親しくしていた方々への連絡と色々忙しく、悲しむ余裕もありません。
父もまだ実感が湧かないのか、まだ笑顔まで見せていましたが、夜になると私も急に悲しくなって、布団に入って電気を消した後、涙があふれて止まらなくなってしまいました。

翌朝、案の定泣きはらしたせいで目が腫れまくり。。
午前中、病院から「お母さまの靴の忘れ物がありました。郵送で送りましょうか?」と電話があり、「取りに行くので大丈夫です。」と言ってはみたけれど、突然の雷雨で私の心の中を表しているかのようなどしゃぶりの雨。結局取りに行く元気がなく、外出しませんでした。

家の中にある母の私物が目に着くたび、数日前まで使っていたのに、もういないなんて。。
と信じたくない気持ちに襲われました。
母の棺に私物で大切にしていた物を入れてあげるため、色々部屋の中の物を見ながら葬儀に持って行く荷物をまとめ、一緒に入れてあげる母宛ての手紙をしたためていたら、また涙があふれ、親族や母の友人から悲痛な悲しみの声が入る度に、一緒に泣けて来ました。

振り返ると、母はいつも私の話を何でも聞いてくれて、寂しい時にはいつも一緒にいてくれました。
仲良しだったので、二人で出かけた場所は数知れず。
あの明るくて元気だった母が、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。。

亡くなる前日、ふと母の呼ぶ声がした気がしたのに、病院にいるからと安心しきっていて、電話をかけてあげなかったことが悔やまれます。
最後に会ったのは無くなる2日前だったけれど、まさかこんな事になるなんて思わず、父がさっさと病室を出て行ってしまったので、母が何かまだ一生懸命訴えていたのに、「あ~、ママごめん。また来るね!」と言って、ちゃんと最後まで話を聞いてあげられなかったことが悔やまれます。
あれが最後の会話になると知っていたら。。

人の別れはある日突然訪れます。
後悔のないように、日々を送りたいです。
皆さんも大切な人がいたら、後悔のないように接してあげて下さい。

葬儀はコロナ禍のため、16日に近親者のみで執り行いました。
花が好きだった母は沢山のお花に囲まれ、愛用品や好きだった食べ物等と共に荼毘に付されました。

お寿司が大好きだったのに、嚥下調整食しか食べれなくて悲しかったよね。
踊りが大好きだったのに、身体が思うように動かせなくて辛かったよね。
今はそんな苦しみから解放されて、天国で大好きなお祖母ちゃんとお寿司を食べ、思いっきり踊ったりしながら楽しく過ごしている事でしょう。

ママ、今までありがとう。どうか安らかに。
これからは天国から、私たち家族を見守っていて下さい。



病院から呼び出し&母と面会

病院から電話があり、「中心静脈栄養のサインをいただきたいのと、病状の説明・今後の方針等について話したいので病院に来てください。」と言われ、父も行きたいと言うので、駅から1キロ以上歩かなければならない上に猛暑日だし大丈夫かな?と思い、「長距離歩くけど大丈夫なの?」と聞くと、「大丈夫。」というの連れて行きました。
かなり時間に余裕を見て、途中ベンチで一休みさせ、水分補給を行って再出発!
父は到着した時はかなり疲れていましたが、なんとか無事に到着。
入り口で体温を計ると37.2度あり、相談員さんも「あれ?お父さん具合悪いですか?」父、「いや。」と(汗)。念のため手首と首元で計ると平熱。「ま、いいか。」と無事に通過させて下さいました。
助かったけど、こんなんで良いのか?とも思った複雑な気持ちになったよ。(笑)

診察室に呼ばれ、「まだ普通の点滴してる状態なんですよ。」と先生。
「え?そうなんですか?」土曜日に電話で許可を下さいと言われてたので、もうやっているものだと思ってたら違ったんだ。
さらに先生、「なんで低血糖になったかが分からないんだよなぁ。病院では一切そんなこと無かったから。」と。
なので、「家に帰って2週目に入ってから、定期的な発作のような痙攣のような感じでお腹が痛いとか苦しいとか言ってたんです。」と伝えると、「お腹が痛いって?」と初めて聞いたようなリアクション。
あれ?何度も何度も訪問看護師さんたちに伝えていたんだけどなぁ。意外と連携が取れていないのかも??と心配になりました。

「前にもやっていたと思いますが、やっぱり食事を摂れないようなので、高栄養の中心静脈栄養という点滴をしたいと思いますので、サインお願いします。」「はい。お願いします。」
「では、そういうことで。」と話を終わらせようとするので、あれ?今後の方針や病状説明は?と思い、「ガスが溜っていると聞いたんですが。」と私。先生、「それは比較的良くある事なんです。じゃあ。」とまた終わらせようとするので、「検査しないんですか?」と慌てて質問。
すると、「もちろん検査はしますよ!」「じゃあ、先生また来週ですか?」と相談員さんが間に入り、先生とのお話は終了になりました。

つまり、来週にならないと病状も分からず、今後の方針も決められないってことなんだな。
それから、父がわざわざ来たのにそれだけで終わってしまうなら来る意味なかったなぁ、とちょっとガックリしていたら、相談員さんが「ご本人に会っていただいても良いですよね?」と先生に聞いてくださって、母の病室に行くことが出来ました。

母は朝方電話で「私のお金を持って来て。少しじゃ駄目よ!ちゃんと持って来て。」と意味の分からないことを必死で訴えて来たので仕方なく、首から下げられるカードケースに封筒に入れた1万円札を入れ、表に「御守」と書き、「いつもありがとうございます。」と一言、看護師さん介護士さん達へのメッセージを書いて見えるようにして渡しました。
母はどことなく目がうつろで、父が手を握っているのにあまり目も合わさずいたのだけれど、どうしてだろう。やっぱり弱っているのかな。。
隣に寝ている方が痰の絡んだ咳をしていたので、母にマスクを付けてあげました。もちろん苦しくないか聞いてから。大丈夫かな?