天国への旅立ち

何から話せば良いのか気持ちの整理の付かぬまま、バタバタとした4日間を過ごし、本日やっとこのブログを書く時間を持てました。

14日の午前3時40分ス頃マホに病院から電話が入り、寝ぼけ眼で出ると男性看護師が「3時半頃でしたがお母様の顔色が悪いので確認すると、脈がなく心臓も動いていない状態でして、今から来れますか?」と突然の報告。

「え?今からですか?」気が動転してしどろもどろ。
「父も起こさないとですし、支度をしてタクシーを呼んで、、そうですね。。」
「30分後くらいですか?」
「そう、、ですね。」

慌てて父を起こし、状況を説明。
父は話を聞いて分かっているのか分かっていないのか?
実は私もこの時状況をよく理解出来ていませんでした。
急いでタクシーを呼ぼうとするも、1社目は営業終了してつながらず。
2社目はエリア範囲外ですと断られ、そこでここのエリアも対応しているという連絡先を聞いて、
3回目の電話でやっとタクシーがつかまりました。
しかし「到着まで10分程お時間かかりますがよろしいですか?」との事。。
でも背に腹は代えられないのでお願いすることに。

病院へ行く前にお手洗いに入っていたら、隣の部屋でドドドド…と大きな物音がしたので、出て見てみると、母のために購入したけど結局食べることなく入院してしまったため未開封のままだった「エンジョイゼリー」の箱が床に落ちていました。ちょっと不思議。。

病院に着くと正面玄関は閉まっていて、横のインターホンを鳴らしました。
中の警備員さんが出てきて開けて下さり、すぐに病室のある階に移動。
電話をしてくれた男性の看護師さんが慌てて出てきて、部屋に誘導して下さいました。

部屋に入ると母が寝ているように見えたので、「ママ、ママ。」と声を掛けて揺り起こすようにしたけれど、すでに動かず。あ、もう脈止まってるって連絡だったんだっけ。。と頭の中で状況を整理。
看護師さんが言うには、「深夜12時には少しお話したんです。午前1時頃にはお休みになられていたんですが。。まさかこんな事になるとは思わず、心電図も付けていなかったので気付くのが遅れてしまいました。」と…。

もう亡くなってしまったんだ。。
父も私もまだ夢の中にいるような気持ちで、状況を飲み込めていないまま、午前4時50分に死亡確認が行われ、霊安室へと運ばれました。
午前4時50分と言うけれど、本当に母が亡くなった時間は何時だったんだろう。少しもやもや。

母を棺に納めるため浴衣に着替えさせてくれたのは、以前オムツ交換を私に教えて下さった介護士の女性の方でした。
「突然なことで残念でしたね。こんな形でまたお会いするとは…。」と。
「はい、でもやれるだけのことはやったので、悔いはないです。」と私。
しかしこの介護士さん、夜勤で遺体の着替えまでして下さっているなんて、本当に気丈な方だなぁ~と、改めて感心してしまいました。
いつも明るくニコニコしていて、見た目も芸人のいとうあさこさんに似てる方なんです。

霊安室までの移動の途中、「葬儀屋はここが良いとかご希望はありますか?」と聞かれ、まだまだ母は生きると思っていたのでそんなこと考えてもいなくて、「いえ、何も決まっていません。」と私。
病院でお世話になっているという葬儀社のパンフレットを3社分受け取り、「決まりましたらそこにお電話していただいて、何時に迎えに来れるか受付に伝えて下さい。」と言われました。
はぁ~、これが遺族の現実なのかな?悲しむ暇もなく、事務的なことをテキパキと行わなければならないなんて、しかもまだ夜明け前。。
頭もぼーっとしているし、母が亡くなったという現実を飲み込めていないのに。。(汗)

空がうっすらと明るくなって来た頃、葬儀屋さんが霊柩車でお迎えに来ました。
その日の日中は葬儀屋さんと改めて葬儀の打ち合わせなどを行い、親族への連絡や母が生前親しくしていた方々への連絡と色々忙しく、悲しむ余裕もありません。
父もまだ実感が湧かないのか、まだ笑顔まで見せていましたが、夜になると私も急に悲しくなって、布団に入って電気を消した後、涙があふれて止まらなくなってしまいました。

翌朝、案の定泣きはらしたせいで目が腫れまくり。。
午前中、病院から「お母さまの靴の忘れ物がありました。郵送で送りましょうか?」と電話があり、「取りに行くので大丈夫です。」と言ってはみたけれど、突然の雷雨で私の心の中を表しているかのようなどしゃぶりの雨。結局取りに行く元気がなく、外出しませんでした。

家の中にある母の私物が目に着くたび、数日前まで使っていたのに、もういないなんて。。
と信じたくない気持ちに襲われました。
母の棺に私物で大切にしていた物を入れてあげるため、色々部屋の中の物を見ながら葬儀に持って行く荷物をまとめ、一緒に入れてあげる母宛ての手紙をしたためていたら、また涙があふれ、親族や母の友人から悲痛な悲しみの声が入る度に、一緒に泣けて来ました。

振り返ると、母はいつも私の話を何でも聞いてくれて、寂しい時にはいつも一緒にいてくれました。
仲良しだったので、二人で出かけた場所は数知れず。
あの明るくて元気だった母が、まさかこんなに早く逝ってしまうなんて。。

亡くなる前日、ふと母の呼ぶ声がした気がしたのに、病院にいるからと安心しきっていて、電話をかけてあげなかったことが悔やまれます。
最後に会ったのは無くなる2日前だったけれど、まさかこんな事になるなんて思わず、父がさっさと病室を出て行ってしまったので、母が何かまだ一生懸命訴えていたのに、「あ~、ママごめん。また来るね!」と言って、ちゃんと最後まで話を聞いてあげられなかったことが悔やまれます。
あれが最後の会話になると知っていたら。。

人の別れはある日突然訪れます。
後悔のないように、日々を送りたいです。
皆さんも大切な人がいたら、後悔のないように接してあげて下さい。

葬儀はコロナ禍のため、16日に近親者のみで執り行いました。
花が好きだった母は沢山のお花に囲まれ、愛用品や好きだった食べ物等と共に荼毘に付されました。

お寿司が大好きだったのに、嚥下調整食しか食べれなくて悲しかったよね。
踊りが大好きだったのに、身体が思うように動かせなくて辛かったよね。
今はそんな苦しみから解放されて、天国で大好きなお祖母ちゃんとお寿司を食べ、思いっきり踊ったりしながら楽しく過ごしている事でしょう。

ママ、今までありがとう。どうか安らかに。
これからは天国から、私たち家族を見守っていて下さい。